top of page
検索

109 生きることは迷惑

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年2月17日
  • 読了時間: 1分

 人間には、誰にも迷惑をかけないで生きることはできません。そもそも生きること自体が、かなり迷惑な行為です。一日の食事のためにどれくらいの命がなくなっているのか、考えたことがありますか? ですから、「私が他人にかける迷惑は最小限にするぞ」と決めて、努力するしかないのです。問題は、ほとんど自分の側にあるのです。他人に文句を言う前に、まず「私はどうか? 人に迷惑をかけないように、きちんとしているだろうか?」と考えてみてください。まず頭をしっかりさせるのです。他人のことは、自分にはどうしようもありません。自分にできるのは、自分のことだけです。だから自分のことをしっかりしていれば、それで十分です。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心を育てる》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【心は病気 役立つ初期仏教法話2」 (サンガ新書2006年) p149】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page