top of page
検索

109 記憶は無常

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年4月5日
  • 読了時間: 1分

 記憶という現象は、物質よりも派手に変化する無常なものです。記憶はみるみるうちに変わって消えていくし、その上に新たな記憶をのせるのです。記憶というシステムは、無常の法則による自分の変化の流れを持っているのです。記憶は、別なものに乗り移ることはできません。個が輪廻転生するというならば、なぜ私に過去生の記憶がないのかと、よく聞かれます。私の答えは、「あなたの今の記憶もいい加減なものでしょう。あてにならないものでしょう。憶えていることより忘れていることのほうがはるかに多いでしょう。いま現在、この肉体システムの中に起きている記憶の流れさえ不安定なのに、過去生の記憶なんかはひとかけらもないのは当たり前です。過去生の記憶は思い出せない。ですから輪廻転生・無常の流れは成り立たない、という理屈自体が成り立たないのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第2章 仏教の教えを理解する《無常》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教と科学が発見した 「幸せの法則」 - 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす p34】

 
 
 

最新記事

すべて表示
見清浄の成長

見清浄の成長 最初に現れる見清浄は、それほど強くありません。修行を止めたらすべて忘れてしまう可能性もあります。 見清浄を薄いままで放っておいて修行しても、次のステップに進めません。Nāma とrūpa の分離智が現れてから、その智慧に基づいて次の実践に進む必要があります。普通の実況中継で構わないのですが、「足を上げます」と実況するときは、足というrūpa の動きと、感覚変化というnāma の動きに

 
 
 
現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる

現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる しかし見清浄に達したら、これらの悩みは減ります。これらの悩みをもう少々、観てください。何か問題があります。それは「自我」が絡んでいることです。すべての悩みに「私は」という主語があります。「私がいない」という想定で実践しなくてはいけないのです。私がいない、という想定で実践できるようになってから初めて、現象がnāma とrūpa に分けて観えるよう

 
 
 
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 

コメント


bottom of page