top of page
検索

120 精一杯やったなら、失敗しても構わない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年4月17日
  • 読了時間: 1分

 仏教的に見れば「失敗したくない」と思うのは、ものすごくバカバカしい考えです。そして「とにかく成功したい」と思うのも、同じようにバカバカしいのです。このあたりは世俗的な心理学と違うところです。普通は、自分の成功を信じるのは正しいことだと言われていますからね。でも、仏教から言えば、どちらでも同じです。失敗してもべつに構わない。ということは、たまたま成功しても構わない。そういうことです。自分のことをそういう目で見る智慧さえあれば、心はまったく病気になりません。でも、残念ながら我々はそうではありません。仏教的に正しい態度は、「精一杯やったら、失敗しても成功しでもどっちでも構わない」という態度です。それをしっかり覚えておけば、健康な心を維持することは難しくありません。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【心は病気 役立つ初期仏教法話2 (サンガ新書2006年) P71】

 
 
 

最新記事

すべて表示
解脱の三つの名称animitta-vimokkha 無相解脱

解脱の三つの名称 animitta-vimokkha 無相解脱  七番目の智見清浄に入った修行者の心に、一切の現象の無常という本性がとても分かりやすくなって、自然にその本性に集中するようになったとしましょう。そのとき、修行者は無常という本性のみを観察しています。心に無常を観察するsammasana-ñāṇa思惟智が生じているのです。次に、gotrabhū 種姓という心が生じます。次に道心と果心が順

 
 
 
心が一つの本性のみを観察するようになる

心が一つの本性のみを観察するようになる  七番目の智見清浄のレベルに入ると、心が興味をいだいた一つの本性のみを観察するようになります。要するに修行者は、無常を観察するか、苦を観察するか、無我を観察するか、いずれかです。さまざまな現象を観察すると、そのぶん、心の集中力が薄くなります。一つの本性に定めたら、集中力が徹底的に強くなります。七番目の智見清浄のゴールは解脱に達することです。ですから、一切の現

 
 
 
無常・苦・無我と解脱の関係

無常・苦・無我と解脱の関係  解脱に達するためには、一切の現象が無常であり苦であり無我であると観察しなくてはいけません。集中力が上がったら、修行者は五番目の道非道智見清浄に入るところから意図的に無常・苦・無我を観察してきました。そのとき、現象は互いに異なる三つの本性を持っているように観えます。さらに修行すると、無常・苦・無我のうち一つの本性だけが心によく分かるようになります。心はその本性にあえて興

 
 
 

コメント


bottom of page