top of page
検索

120 精一杯やったなら、失敗しても構わない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年2月4日
  • 読了時間: 1分

 仏教的に見れば「失敗したくない」と思うのは、ものすごくバカバカしい考えです。そして「とにかく成功したい」と思うのも、同じようにバカバカしいのです。このあたりは世俗的な心理学と違うところです。普通は、自分の成功を信じるのは正しいことだと言われていますからね。でも、仏教から言えば、どちらでも同じです。失敗してもべつに構わない。ということは、たまたま成功しても構わない。そういうことです。自分のことをそういう目で見る智慧さえあれば、心はまったく病気になりません。でも、残念ながら我々はそうではありません。仏教的に正しい態度は、「精一杯やったら、失敗しても成功しでもどっちでも構わない」という態度です。それをしっかり覚えておけば、健康な心を維持することは難しくありません。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【心は病気 役立つ初期仏教法話2 (サンガ新書2006年) P71】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page