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121 金・物・地位は気にしない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年2月5日
  • 読了時間: 1分

 夢が、まったく自分個人のための夢だったら、その人は不幸のどん底に陥ります。しかしたとえば「お母さんを幸せにしてあげたい。お母さんをいい家に住まわせてあげたい」と思えば、他人のためですから、その人は明るくなります。どんな苦労でもして、仕事をします。だから夢は何なのかと、そこをチェックしなくてはいけません。金・物・地位のことはきれいさっぱり忘 れて、「どう生きるか」ということだけ考えればいいのです。立派に仕事をするならば、金は勝手に入ってきます。職場で真面目に頑張れば、地位は自然と上がります。金・物・地位はどうでもいいことなのです。卒業証書そのものが欲しくて大学に入る人がいますか? そうではなく、四年間頑張ることに意味があるのです。卒業証書はただの紙です。金・物・地位を目指して頑張るのは、ただの紙が欲しくて頑張るようなものです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教と科学が発見した 「幸せの法則」 - 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす p115】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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