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124 すぐれた善友になるのも自分の心

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年3月3日
  • 読了時間: 1分

 親は子供になんでもしてあげたいと思うでしょうが、大したことはできません。しかし、自分の心を育てれば、この上のない幸福を自分にもたらしてくれます。「自分の心を育てると、母にも父にもできぬことを心がしてくれるのだよ」とお釈迦様はおっしゃいます。ですから、心に頼るしかなくなるのです。大敵になるのも自分の心ですが、ものすごくすぐれた善友になるのも自分の心なのです。悪魔も、神も、自分の心なのです。『一分で読むブッダの教え』第2章 心の正体を知れば、人は成長することができる 《心を育てる》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダはなぜ心を重視するのか 心は「幸福」「不幸」のクリエイター (お釈さまが教えたこと 7, 2009年) p239】

 
 
 

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自分の修行は完了したのだろうかと、観察する  この観察が終わったら、自分の修行は完了したのだろうかと、観察します。まだいくつかの煩悩が残っていること、まだまだ感情が湧きでる可能性があることを発見します。それは残りの煩悩の観察です。  残りの煩悩の観察が、悟りに達してたちまちできるかどうかは分かりません。解脱に達したショックが冷めたところで、再び心を観察するやり方もよいと思います。遅かれ早かれこの観

 
 
 

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