top of page
検索

125 いつの間にかリーダー格になる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年2月9日
  • 読了時間: 1分

 どんどん自分の慈悲の気持ちを拡大します。いったん拡大してみたら、日常生活は何のことなく、冗談、遊びのように思えてきます。人間関係などで「これどうしましょう」と言われても、「どうということはないです」と答えられるほど、軽やかになるのです。何より、慈悲の瞑想を続けると、人格ができているので、すごい力が入ってきます。生き方が変わります。慈悲の瞑想を続けると、人格ができているので、すごい力が入ってきます。自分で進んでいかなくても、生命がみんな寄ってきて、助けてくれたり、いろいろお世話してくれたり、安らぎをいただけたり、いろいろなことが起こります。だいたい、知らないうちに自分が人間の中でリーダー格になっているのです。それを狙って実践するのは欲ですが、無理矢理リーダーにされてしまえば、仕方がないということになります。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【慈悲の瞑想 (フルバージョン〕 人生を開花させる慈しみ p153】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page