top of page
検索

126 駄目でも、聞いて直せばそれでいい

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年4月22日
  • 読了時間: 1分

 人に「これは駄目です」と言われても、「ああ、これは失敗だ。じゃあ直そう」と、そのような生き方が正しい生き方です。会社でも上司に「あれは駄目、これも駄目」と言われると、若い女性社員などはすぐに精神的にストレスがたまってしまいますが、偉そうに「これは駄目だ」と言われても、「ああそう、駄目ですか。なるほど、じゃあ直します」と直せばいいのです。自分で直せなければ、「わかりませんから教えてください。どういうふうにやればいいですか」と聞けばいいのです。教えるのは上司の義務ですから。そういう生き方なら、楽に生きていけます。それなのに、みんな混乱してばかりで、猫が毛糸玉で遊ぶように、何か仕事をすればするほど、混乱はどんどんひどくなるのです。我々の心はそんな状態です。毛糸玉も糸をしっかり巻いておけば問題ないのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【Ⅱ「ブッダの実践心理学 第二巻 心の分析」 藤本晃氏との共著(2006年) p245】

 
 
 

最新記事

すべて表示
見清浄の成長

見清浄の成長 最初に現れる見清浄は、それほど強くありません。修行を止めたらすべて忘れてしまう可能性もあります。 見清浄を薄いままで放っておいて修行しても、次のステップに進めません。Nāma とrūpa の分離智が現れてから、その智慧に基づいて次の実践に進む必要があります。普通の実況中継で構わないのですが、「足を上げます」と実況するときは、足というrūpa の動きと、感覚変化というnāma の動きに

 
 
 
現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる

現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる しかし見清浄に達したら、これらの悩みは減ります。これらの悩みをもう少々、観てください。何か問題があります。それは「自我」が絡んでいることです。すべての悩みに「私は」という主語があります。「私がいない」という想定で実践しなくてはいけないのです。私がいない、という想定で実践できるようになってから初めて、現象がnāma とrūpa に分けて観えるよう

 
 
 
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 

コメント


bottom of page