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128 適職を探し続けることはできない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年2月12日
  • 読了時間: 1分

 時間は恐ろしく変化していることを自覚してほしいのです。今の瞬間は一回きりです。20代というのはたった10年しかありません。28歳なのに格好をつけて、「私はまだ20代です」といっても、もうそろそろ30代でしょう。20代だといばれるのは、24、5歳までです。20代ももう半分来てしまったら、そのあとは30代のことを考えなくてはいけません。日々衰えることを感じると、結構、活発になります。私も、日々自分の体が見る見るうちに衰えて死んでいくのだということを、いつも思い浮かべるのです。そうすると、バカげたことをやっていられる場合ではないと、ときどき腹立たしく思ったりします。フリーターの人は、永遠に生きられ るという幻想にはまって、どのような仕事が適しているか考え悩んでいる。でも、そんなことをやっている場合ではありません。だって毎日三食食べなくてはいけないでしょう。何が適しているかなど、やってみればわかることです。自分が会社員に適していると思っても、畑をいじるほうで喜びを感じる可能性もあるのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプローチ」南直哉氏との共著 (2009 年) p191】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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