top of page
検索

129 思い通りにいかないことに挑戦する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年4月25日
  • 読了時間: 2分

 たとえば、「この仕事は私に合っているんだ」と納得できる仕事に、たまたま就けたとします。しかし、「自分がこれをしています」というようなものは後退です。なぜなら、世間は変わり続けるからです。世の中は、明日どうなるかわかりません。我々はずっと精神的に、「どうなっても対応するぞ」というオープンアプローチ、開放されたアプローチでなければいけないのです。それなのに、自分の世界で固まっていたら、自分の思い通りでないものすべてに対して怒らなくてはいけないでしょう。「自分にはこの仕事だ!」と思って飛びついて選んだ仕事でも、いろいろ思い通りにいかないことはよくあります。「私がやってるんだぞ!」という気持ちでやっていたら、ちょっと思い通りでないことが起こるとおもしろくないでしょうね。怒らなくてはいけないことになります。しかし、世の中は、自分には管理できないことばかりです。目に見えるもの、耳に入るものさえ管理したり選択したりできません。ですから最初から「思い通りにいかないもんだ」とわかって、周りがどんなに自分の意に反することをやってきても、「対応してやるぞ!」「怒らないで行動するぞ!」というチャレンジャー精神で生きたほうが、ずっと楽です。しかし、それをするためには自我が邪魔なのですね。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【無知の壁 「自分」について脳と仏教から考えるp52】

 
 
 

最新記事

すべて表示
見清浄の成長

見清浄の成長 最初に現れる見清浄は、それほど強くありません。修行を止めたらすべて忘れてしまう可能性もあります。 見清浄を薄いままで放っておいて修行しても、次のステップに進めません。Nāma とrūpa の分離智が現れてから、その智慧に基づいて次の実践に進む必要があります。普通の実況中継で構わないのですが、「足を上げます」と実況するときは、足というrūpa の動きと、感覚変化というnāma の動きに

 
 
 
現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる

現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる しかし見清浄に達したら、これらの悩みは減ります。これらの悩みをもう少々、観てください。何か問題があります。それは「自我」が絡んでいることです。すべての悩みに「私は」という主語があります。「私がいない」という想定で実践しなくてはいけないのです。私がいない、という想定で実践できるようになってから初めて、現象がnāma とrūpa に分けて観えるよう

 
 
 
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 

コメント


bottom of page