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129 思い通りにいかないことに挑戦する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年2月13日
  • 読了時間: 2分

 たとえば、「この仕事は私に合っているんだ」と納得できる仕事に、たまたま就けたとします。しかし、「自分がこれをしています」というようなものは後退です。なぜなら、世間は変わり続けるからです。世の中は、明日どうなるかわかりません。我々はずっと精神的に、「どうなっても対応するぞ」というオープンアプローチ、開放されたアプローチでなければいけないのです。それなのに、自分の世界で固まっていたら、自分の思い通りでないものすべてに対して怒らなくてはいけないでしょう。「自分にはこの仕事だ!」と思って飛びついて選んだ仕事でも、いろいろ思い通りにいかないことはよくあります。「私がやってるんだぞ!」という気持ちでやっていたら、ちょっと思い通りでないことが起こるとおもしろくないでしょうね。怒らなくてはいけないことになります。しかし、世の中は、自分には管理できないことばかりです。目に見えるもの、耳に入るものさえ管理したり選択したりできません。ですから最初から「思い通りにいかないもんだ」とわかって、周りがどんなに自分の意に反することをやってきても、「対応してやるぞ!」「怒らないで行動するぞ!」というチャレンジャー精神で生きたほうが、ずっと楽です。しかし、それをするためには自我が邪魔なのですね。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【無知の壁 「自分」について脳と仏教から考えるp52】

 
 
 

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