top of page
検索

130 リーダーの条件

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月14日
  • 読了時間: 2分

 日本人が世界のリーダーになってくれたらありがたいのです。日本人には、その資格があるのです。本当はアジアの国々が、中国さえもそう期待していたのです。日本人は最低でも、アジアのリーダーシップをとってくれるだろう、と。それを裏切ったのです。それで今、その結果を受けているのです。リーダーシップを日本人がとるならば、問題はないというのに。リーダーシップとは自我を張らないことです。人の心配をするのです。人の幸福を願うのです。「きみ、元気ですか?」「しっかりがんばっていますか?」「何か助けられることはありますか?」「しっかりしなさいよ!」「けんかするなよ!」、それがリーダーです。この「リーダー」とは、仏教の視点、ブッダの理想からしゃべっている意味の「リーダー」ですよ。私の国でリーダーシップをとっているのは、汚い連中で話になりません。日本の政界も、仏教が言う「リーダー」からはほど遠いですね。稲は豊作になると、曲がって曲がって地面のほうに垂れてきます。カラの稲はまっすぐ伸びています。稲穂がしっかり成長していっぱい中身が入っている稲は、美しく曲がって地面を見ます。下を見るのです。人間も同じです。人格がそなわって中身があると威張りません。威張るということは、中身がないということです。私から見ると、日本人はあまり威張っていません。ということは、リーダーシップをとる資格があるのです。お金ではないのです。たとえば、外国で大きな災害が起こった場合、いろいろな国々からボランティアが行きますが、日本から行く場合、個人で援助に行っても、政府関係で自衛隊などのグループで行っても、がっちりと握手されて大歓迎されます。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《仕事》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【日本の未来 アイデアがあればグローバル化だって怖くない! (サンガ 新書 2014年) p131】

 
 
 

最新記事

すべて表示
nāma とrūpa を区別して発見する

nāma とrūpa を区別して発見する それから客観的に確認作業を実行してみるようになります。そうなると、手を上げます、下げます、と実況するのであって、それは「私の手」という気持ちから離れています。ただ「手」という客観的な物体として観るのです。座る瞑想もこの調子でおこないます。集中力があり、客観的に確認しますから、より詳しく現象を観ることができるようになります。 手・足・お腹などは純粋な物体です

 
 
 
「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する

「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する 集中力が上がって自然に実況中継が流れるところまでくると、修行者が確認する現象も変わっていきます。本当は「現象が変わる」という言葉は、正しくはありません。今まで気づくことができなかった現象にまで気づけるように成長した、ということです。どのように現象が変わるのか、次で説明していきます。 初心者の修行には、「私」という気持ちがこびりついています。手を上

 
 
 
自然に集中することができるようになる

自然に集中することができるようになるここで知りたいのは、どんな智慧が現れるのか、ということです。これからそれを、修行者たちが体験するさまざまな現象の流れに基づいて説明します。 初心者の修行は苦労しながら混乱したままで続きます。足を上げる、運ぶ、下ろす、などを実況すると、何のためにこれをやっているのか、という疑問も生じます。もっと面白いものがないのかと、心が他の対象に走り回ったりもします。しかし負け

 
 
 

コメント


bottom of page