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133 言葉の前に概念がある

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年2月17日
  • 読了時間: 2分

 考えるというのは、概念を回転させることです。言葉で考える理論です。一方、猫などの動物は、言葉を使うような概念は持っていません。しかし、概念自体はあ るのです。ですから「ニャン」と聞けば、私にはそれで意味がわかります。概念と言葉は別物です。概念が先にあって、人間はそこに言葉というラベルを貼ります。ですから、概念よりも言葉のほうが数は少ないのです。私たちはときどき、言いたいのだけれど、うまく言えない、言葉にならないことがありますでしょ。優秀な文学者が世の中で成功しているのは、私たちに言えないことを、ものの見事に言葉を組み合わせて表現する能力があるからです。普通の人は、怒ったら相手を睨むとか、相手に暴言を吐くとか、その程度のことしかできません。しかし文学者は物語のストーリーを描くだけで、なんのことなく、キャラクターの怒りを伝えるのです。彼らは言葉という楽器の、プロの演奏家です。概念があって、その上での言葉なのです。言葉は服のようなものです。かぶりものです。だから我々は、いくつかの言語をしゃべれるのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《コミュニケーション》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教と科学が発見した 「幸せの法則」 - 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす p72】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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