top of page
検索

139 悪思考の打ち消し方 ②

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年3月18日
  • 読了時間: 1分

 デメリットを考えてもまだ、悪思考が消えない場合は、その思考を無視する、考えないことにするのです。見たくないものが目の前にあれば、目をそらしますね。思考の場合も同じように、目を閉じるように、悪思考をやめるのです。 妄想が止まらない場合は、あえて何か一つのこと、たとえば体でもいいし、呼吸法のことでもかまいません、そのことに集中します。テーマを一つに決めて、そのことだけに集中する。これが悪思考を無視する効果的なやり方です。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《悩み》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【人生は美しく清らかに 潔癖VS清浄 (お釈迦さまが教えたこと5,2007年 p125】

 
 
 

最新記事

すべて表示
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 
それなりの安らぎ

それなりの安らぎ見解が消えたら、心は穏やかになります。楽になります。安らぎを感じます。解放された気分になります。 このとき、「こんな安らぎは初めてです」と、修行者が驚いて感動することでしょう。しかしこれは危険です。まだ解脱に達していません。智慧を完成していないのです。それを修行者に教えてあげなければなりませんから、指導者のアドヴァイスは欠かせません。この場合は、修行者は最終的な解脱に達したのではな

 
 
 
nāma とrūpa の流れに過ぎない

nāma とrūpa の流れに過ぎない 解説すると、このようになります。「私」というのは、心と物質の流れです。二種類の流れに、仮に、世俗的に「私」と言っているだけです。「私」という何かがあるわけではないのです。『念処経』で説かれているように、この経験を活かして自分を観察する・他を観察する・両方を観察する、という順番でおこなってみるならば、以下のような結論に達します。「生命とは、生きるとは、命とは、

 
 
 

コメント


bottom of page