top of page
検索

141 内容がないおしゃべりは不善行為

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年5月7日
  • 読了時間: 1分

 人はよくしゃべる。しかしその言葉は有意義でもなく、相手に何かを伝えるという気持ちもそれほどないのです。しかし、聞いてほしいのです。さまざまなストレスが溜まっている。面白い、気に入らない、悔しい、などのさまざまな感情が詰まっている。そのストレスや感情を発散するためにしゃべっているのです。大胆に言えば、内容がない、ということです。内容がなければ、無意味です。無意味であるならば、ただの音です。喋りたいから喋る行為は、仏教で不善行為として「無駄話」と言うのです。ただ喋ることを、なぜ悪行為にしているのでしょうか。喋る人は、感情を発散するだけで、理性や論理に基づいてアイデアを整理整頓していないのです。頭に「口が止まらない」という、とても悪い癖がついてしまうのです。それでどんどん無知になるのです。ですから、無駄話を喋る人は、自分に対して不幸なことをしているのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《コミュニケーション》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第三巻 心所の分析 p192】

 
 
 

最新記事

すべて表示
解脱の三つの名称animitta-vimokkha 無相解脱

解脱の三つの名称 animitta-vimokkha 無相解脱  七番目の智見清浄に入った修行者の心に、一切の現象の無常という本性がとても分かりやすくなって、自然にその本性に集中するようになったとしましょう。そのとき、修行者は無常という本性のみを観察しています。心に無常を観察するsammasana-ñāṇa思惟智が生じているのです。次に、gotrabhū 種姓という心が生じます。次に道心と果心が順

 
 
 
心が一つの本性のみを観察するようになる

心が一つの本性のみを観察するようになる  七番目の智見清浄のレベルに入ると、心が興味をいだいた一つの本性のみを観察するようになります。要するに修行者は、無常を観察するか、苦を観察するか、無我を観察するか、いずれかです。さまざまな現象を観察すると、そのぶん、心の集中力が薄くなります。一つの本性に定めたら、集中力が徹底的に強くなります。七番目の智見清浄のゴールは解脱に達することです。ですから、一切の現

 
 
 
無常・苦・無我と解脱の関係

無常・苦・無我と解脱の関係  解脱に達するためには、一切の現象が無常であり苦であり無我であると観察しなくてはいけません。集中力が上がったら、修行者は五番目の道非道智見清浄に入るところから意図的に無常・苦・無我を観察してきました。そのとき、現象は互いに異なる三つの本性を持っているように観えます。さらに修行すると、無常・苦・無我のうち一つの本性だけが心によく分かるようになります。心はその本性にあえて興

 
 
 

コメント


bottom of page