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141 内容がないおしゃべりは不善行為

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年2月25日
  • 読了時間: 1分

 人はよくしゃべる。しかしその言葉は有意義でもなく、相手に何かを伝えるという気持ちもそれほどないのです。しかし、聞いてほしいのです。さまざまなストレスが溜まっている。面白い、気に入らない、悔しい、などのさまざまな感情が詰まっている。そのストレスや感情を発散するためにしゃべっているのです。大胆に言えば、内容がない、ということです。内容がなければ、無意味です。無意味であるならば、ただの音です。喋りたいから喋る行為は、仏教で不善行為として「無駄話」と言うのです。ただ喋ることを、なぜ悪行為にしているのでしょうか。喋る人は、感情を発散するだけで、理性や論理に基づいてアイデアを整理整頓していないのです。頭に「口が止まらない」という、とても悪い癖がついてしまうのです。それでどんどん無知になるのです。ですから、無駄話を喋る人は、自分に対して不幸なことをしているのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《コミュニケーション》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第三巻 心所の分析 p192】

 
 
 

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