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142 「好かれたい」と思うと好かれない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年3月21日
  • 読了時間: 1分

 好かれようと思うことはよくありません。「好かれたい」と思う瞬間、他の生命をバカにしているのです。相手を尊重しないで、自分の都合のいいように動かせる道具のように思っているでしょう。生命をバカにして好かれるわけがないでしょう。ですから、その都度その都度、風鈴のように、「どんな風でしょう」と見て、それに適した音を立てればよろしいということになるのです。ですから、「慈しみ」をよく覚えておいてください。「一切の生命を慈しむべきである」と、我々の仏教では言葉にしてみんなに教えています。「『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《人間関係》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教で生きる! 仏教対談 「悩まない生き方」 板橋興宗氏、金光寿郎氏 との共著(2013年) p94】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
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