top of page
検索

144 話すことは一人芝居ではない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年2月28日
  • 読了時間: 1分

 人は何かを話す場合は、とても気をつけた方が良いのです。なぜならば、話すということは自分だけの一人芝居ではないからです。参加者がいるのです。聞く相手にかならず影響を与えているのです。嘘、噂、粗悪語、無駄話、喋る人の心が汚れているかもしれません。人格に問題があるかもしれません。しかしその人は、他人にもウイルスを感染させるのです。ですから、微罪では済みません。大罪になるのです。人は四六時中、無駄話をしているのです。何の悪いこともしていないと思っているようです。しかし相当な悪いことをしているのです。命は短いのに、その短い時間を有効に使うべきなのに、時間を無駄にすることで、自分の命を粗末にしているのです。それから、他人の大事な時間も、奪ってしまうのです。とてもよくないことです。無駄話をする人は時間泥棒です。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《コミュニケーション》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第三巻 心所の分析 p202】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page