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145 自分を捨てれば、他人と仲良くできる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年3月1日
  • 読了時間: 1分

 他人と仲良くしようとすると、自我の錯覚が鬼のように仲間割れに入ります。二人で仲良く生活しようと思ったとき、成功率は「自分がどの程度、自分を捨てることができるのか」ということにかかっています。自分を後回しにする人々は、他人と仲良くできます。そんな力がないと思うならば、一人で生活したほうがよいでしょう。他人の気持ちに自分を合わせるためには、落ち着きが必要です。忍耐力が必要です。慈しみは必ず必要です。逆にいえば、皆と仲良生活することは七面倒臭いのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《コミュニケーション》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【無知の壁 「自分」について脳と仏教から考えるp56】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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