top of page
検索

147 噂話は打ち切るべし

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年3月3日
  • 読了時間: 2分

 噂話をする人々がやってきたらどうしましょうか。丁寧にその人の話を聞いてあげるべきでしょうか。丁寧に聞いてあげることは、一見善い行為として見られます。しかし、時間の無駄になる話、気持ちが悪くなる話、心が汚れる話、悪を正当化する話、などは親切丁寧に聞いてあげる必要はないのです。何としてでもその話題を変えなくてはならないのです。汚れた話を持ってくる人が頑固で、自分の話題を強引に言い続けるならば、相手が気を悪くしたとしても、その話を打ち切らなければならないのです。人の悪口ばかり言う人がそれでプライドを傷つけられて、自分との友人関係を切っても、それほど損はありません。悪口ばかり言う人が友人でいることこそが、より危険なのです。例えば、このように反論したって良いのです。「私だって欠点だらけです。耳が痛くなります。ですから、人の悪口は止めましょう」。または、「私は嫌になるほど不完全な人間なので、人の欠点なんかはまったく気にしないで無視するのです」。このような反論か、もっと気の効いた反論で、悪口を言う人がやってきたら、話題を打ち切ってほしいのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《コミュニケーション》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第三巻 心所の分析 p201】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 

コメント


bottom of page