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155 自由と人間関係

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年4月3日
  • 読了時間: 1分

 「自由」という、変であやしい単語を我々はつくり、「皆と仲良く、自由に生きてみようではないか」などと、平気で言います。 もし、本当に自由ならば、誰にも迷惑をかけずに、一人で生活をしているでしょう。そういう人々のことを、人は「あやしい人」「暗い人」だと言ったりするのです。自由を獲得しようとする人のことを「暗い」、「あの人のことはあまりよくわからない」などと、いろいろなことを言うのです。こういった人々は、自由というものがまるでわかっていない、ということです。 俗世間で理想的な生き方だと思われているのは、多くの人々と関係を結び、知り合いがたくさんできる生き方です。しかし、これは本当にひどい依存です。この生き方には自由がありません。一人の友達ができただけでも、ある程度自由がなくなるのに、百人もいれば、自由でいられるわけがありません。お正月が近づいてくると、年賀状を出さなくてはいけません。その相手が百人も二百人もいたら、どうなるのでしょうか。 『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《人間関係》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【自立への道 ブッダはひとりだちを応援します (お釈迦さまが教えたこ 6,2008年) p167】

 
 
 

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