top of page
検索

161 「笑って幸福になる」という智慧の笑い

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年5月27日
  • 読了時間: 1分

 笑いについては少し注意しなくてはいけないこともあります。私が言いたいのは、「笑って幸福になってください」ということであって、「幸福だから笑う」ということではないということです。「笑って幸福になる」という場合の笑いと、「幸福だから笑う」という場合の笑いは、まったく違います。「幸福だから笑う」というと、ちょっと危ないのです。それは無知で、どこかに落とし穴があるからです。そもそも世俗的な生き方では、完全な幸福を得ることは不可能です。それなのに完全に幸福だと思って満足すると、その時点でより高度な幸福を目指すことを止めてしまいますから、怠けにつながってしまうのです。「私は幸せだ」 「生きていてよかった」などというのは、ただの幸福ボケですよ。ですから、そこに生まれる笑いは、ひどく無智な笑いなのです。人間を幸福にするのは、ただバカみたいに無智で笑うということではなくて、「もうちょっと考えて、物事に笑う」という智慧の笑いなのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《笑い》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【怒らないこと 役立つ初期仏教法話1 (サンガ新書 003, 2006年) p186】

 
 
 

最新記事

すべて表示
心が一つの本性のみを観察するようになる

心が一つの本性のみを観察するようになる  七番目の智見清浄のレベルに入ると、心が興味をいだいた一つの本性のみを観察するようになります。要するに修行者は、無常を観察するか、苦を観察するか、無我を観察するか、いずれかです。さまざまな現象を観察すると、そのぶん、心の集中力が薄くなります。一つの本性に定めたら、集中力が徹底的に強くなります。七番目の智見清浄のゴールは解脱に達することです。ですから、一切の現

 
 
 
無常・苦・無我と解脱の関係

無常・苦・無我と解脱の関係  解脱に達するためには、一切の現象が無常であり苦であり無我であると観察しなくてはいけません。集中力が上がったら、修行者は五番目の道非道智見清浄に入るところから意図的に無常・苦・無我を観察してきました。そのとき、現象は互いに異なる三つの本性を持っているように観えます。さらに修行すると、無常・苦・無我のうち一つの本性だけが心によく分かるようになります。心はその本性にあえて興

 
 
 
自分の修行は完了したのだろうかと、観察する

自分の修行は完了したのだろうかと、観察する  この観察が終わったら、自分の修行は完了したのだろうかと、観察します。まだいくつかの煩悩が残っていること、まだまだ感情が湧きでる可能性があることを発見します。それは残りの煩悩の観察です。  残りの煩悩の観察が、悟りに達してたちまちできるかどうかは分かりません。解脱に達したショックが冷めたところで、再び心を観察するやり方もよいと思います。遅かれ早かれこの観

 
 
 

コメント


bottom of page