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171 親の仕事は道徳を教えること

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年6月11日
  • 読了時間: 1分

 人間は元来、わがままで好き勝手な性分です。そのままでは社会で生きられないので、何が善いことで、何が悪いことか、という道徳を親が子供に教えなくてはいけないのです。何だかんだ行っても、親の仕事とは「道徳を教えること」に尽きます。つまり、善悪を教えることです。善悪を知っている人は、どこで何をやっても生きていられます。親の仕事はそれだけです。そして子供は、親が教えた善悪のガイドラインに沿った生き方をします。親の影響はけっこう大きいものです。子供は、自分がすることに親の承認が欲しいと思うものなのです。自分の進路を選択するときでも、それが親のガイドラインの範囲内かどうか、チェックして決めます。そのガイドラインが善悪・道徳の世界です。ですから親は、まず自分が明確なガイドラインを持たないといけません。道徳的なガイドラインがしっかりしていれば、どんな仕事を選んでも社会で通用します。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《子育て》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる親は子を育て、子は親を育てる」(2017年) p21】

 
 
 

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