top of page
検索

172 どう生きるべきか、真剣に学ぶべき

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年4月20日
  • 読了時間: 1分

 教育とは生き方を教えることです。だから、お箸のもち方や、ご飯をこぼさないようにすることや、「いただきます、ごちそうさま」と言うことを、親が教育をしているのです。それは生き方を教えていることです。学校にあがってからも、教えるべきなのは「生き方」です。ずーっと死ぬまで、どのように生きるべきかと教えるべきです。人生のある時期は結婚する、ある時期は子育てをする、ある時期はほかの何かをする。人生はプロセスだから、無停止だから、ダイナミズムだから、過ぎた一日は戻ってこないのです。我々は一日しか生きていない。次の日は別の人間でしょう。ですから、その日その日でどんな生き方をするかを教えるべきなのに、現状は、西洋流の仕事をするロボットをつくる教育になっています。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《子育てと親孝行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【迷いと確信 大乗仏教からテーラワーダ仏教へ 山折哲雄氏との共著 (2007年) p63】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:⑥ 確信adhimokkha

観察の汚れ:⑥ 確信adhimokkha  心・心所の説明でadhimokkha 勝結という心所に出会いました。何かを認識するときというのは、心がその対象から離れないで対象にくっついている状態です。この状態でなければ認識することができません。  優れた修行者が経験するadhimokkha という障碍は、心所のadhimokkha とは違います。『清浄道論』では、adhimokkha とはsaddh

 
 
 
観察の汚れ:⑤ 楽sukha

観察の汚れ:⑤ 楽sukha  楽の説明は三番目のpīti 喜と同じです。ここでは言葉の違いだけ理解しておきましょう。喜とは激しい波です。楽とはとても落ち着いた波です。楽の場合は、安楽という言葉があるでしょう。楽があって、その上、徹底した安心感もあるのです。普通の日本語でも、「これは楽しい」という場合と「これは楽」という場合には違いがあります。その違いは何かということは言葉で説明しにくいです。蜂蜜

 
 
 
観察の汚れ:④ 軽安passaddhi

観察の汚れ:④ 軽安passaddhi  軽安とは、軽いという意味です。落ち着いた、というニュアンスも入っています。真夏に人が道を歩いたとしましょう。暑いし、歩いて身体も疲れているのです。それから、クーラーがついている家に入ります。ソファに座ります。今までの苦しみが消えていきます。落ち着くのです。  ヴィパッサナー修行は重労働です。集中力を保つことも大変です。身体で痛みを感じます。修行がうまく進ま

 
 
 

コメント


bottom of page