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172 親子それぞれに生き方がある

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年6月12日
  • 読了時間: 1分

 親たちが子供に寄生するという現象のせいで、子の「独立」が問題化してしまうのです。本来、親は子供の面倒を適当に見てあげて、それからは自分の人生をがんばらなくてはいけません。男であれ女であれ、大人は社会人として、やらなくてはいけないことがたくさんあります。それをサボったら、自分の人生が台無しになってしまいます。何でもやってあげれば子供が喜ぶと思うのは、親の勘違いです。子供は、それほど親に期待していません。野球の試合でも、発表会でも、親が来てくれたら楽しいな、という程度です。親が来ることで子供の気持ちが落ち着くようなら見に行けばいいし、ちょっと協力してあげる程度でいいのです。ある程度大きくなったときに、親には親の生き方があるのだとわかったら、子供はリラックスできます。親子がそれぞれの生き方を理解することで、子供の独立が自動的に始まるのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《子育て》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる親は子を育て、子は親を育てる」(2017年) p94】

 
 
 

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