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175 親孝行とは何か

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年4月23日
  • 読了時間: 1分

 親孝行というのは、親を喜ばせて自分を満足させるためにあるものではありません。自分のすべては借り物であり、何者でもない。周囲の人に支えられて生きてきたのだ ― ― そういうことを自覚するために恩返しをするのです。親に喜んでもらって、自分も嬉しくなるために親孝行していては駄目です。自分の人格を直すために、自分が善い人間になるためにやらなくてはいけないのです。自分が嬉しくなるための親孝行なら、結局一生をかけて親孝行をしても、人格者にはなれません。親を喜ばせたくて親孝行をする人は、自分が欲にだまされているのです。自分が本当に善い人間で、親のために尽くしていると思い込んでいます。親の財産なんていらないと言って、親が亡くなると財産をぜんぶ寄付したりもしますが、そこまでやる場合でも、欲にだまされていることがあるのです。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《子育てと親孝行》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ありのままの自分 アイデンティティの常識を超える (お釈迦さまが教えたこと 4, 2007年) p130】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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