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178 面白がってやれば、うまくいく

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年6月18日
  • 読了時間: 1分

 子供はいつでもストを起こします。座り込んで泣く。動かない。何とかして心を面白くしてあげれば、ストを起こしている子供がまた面白がって、立ち上がって走りだします。子供の状態を見ると、身体と心の関係は明確です。面白くなると、身体も軽く動く。子供は別に、わざとやっているわけではないのです。心が面白くなくなると、身体も本当に動かなくなるのです。大人も同じで、面白がっていない人は身体もなかなか動かせないし、頭も動かない。たとえば頭だけ使って仕事するときでも、その仕事自体が面白くないと、頭が固くなって何もアイデアが出てこない。面白くなると、アイデアも出てくるのです。だからいつでも、あんまりくそ真面目に生活するとうまくいかないのです。どんな大事な仕事であっても、冗談を言いながら、軽く明るくやるなら、効率は一番いいのです。我々は、心の明るさをいつでも、二十四時間保てるようにしたらいいのです。そうすると、全然疲れません。その明るさ、軽さがpassaddhi 軽安(きょうあん)とlahutā 軽快性(けいかいせい)なのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《子育て》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学 第三巻 心所の分析 p162】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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広げていけれど

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