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179 子育てに失敗するのは、執着がありすぎるから

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年6月19日
  • 読了時間: 1分

 子育てにしても、みんな失敗するのは、執着がありすぎるからです。「子供は私とは別な人間です。私は預かっているのです」という感じでいいでしょう? 人間様ですからね、けっこう気をつけて、丁寧に面倒を見なくてはいけません。別の人間として、「ああ、この子は頭が良さそうだな」「この子はこちらに能力がありそうだな」などと、よく見えてきます。それがわかれば、いとも簡単に導けるでしょう。親子の対立は起きません。親子の対立は、親が子を所有物だと思った瞬間に起こります。いくつになっても、子供は親とは親しくしたいものです。私の親はもう生きていませんが、生きていたら、今でもかわいがってほしいです。しかし、親がああしなさい、こうしなさいと命令すると、腹が立つものです。「私のことは、私の勝手にやります」という気になります。だからといって、怒られたくはないのです。そのあたりは、無執着世界ならうまくいきます。できるだけ執着が少なく生きると、生きる苦しみはかなり減ります。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《子育て》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【苦の見方 「生命の法則」を理解し「苦しみ」を乗り越える (サンガ新書065 2015年) p169】

 
 
 

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