top of page
検索

188 人生は死ぬまで学校

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年6月28日
  • 読了時間: 1分

 「学ぶ」とは知識を覚えるだけのことではありません。会う人会う人が、私に何かを教えてくれます。あなたの陰口を言う人も、足を引っ張る人も、何か教えています。 Life is a school つまり、人生とは死ぬまで学校なのです。教え方はさまざまです。人だけでなく、猫を飼ったら、猫もいろいろなことを教えてくれます。猫が教えてくれることと、おばあさんが教えてくれることは、もちろん違います。猫は自分の好き勝手に過ごしていて、何も指図したりはしません。でも、その中からも学ぶことがあります。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《正しい生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる親は子を育て、子は親を育てる」(2017年) p53】

 
 
 

最新記事

すべて表示
心が一つの本性のみを観察するようになる

心が一つの本性のみを観察するようになる  七番目の智見清浄のレベルに入ると、心が興味をいだいた一つの本性のみを観察するようになります。要するに修行者は、無常を観察するか、苦を観察するか、無我を観察するか、いずれかです。さまざまな現象を観察すると、そのぶん、心の集中力が薄くなります。一つの本性に定めたら、集中力が徹底的に強くなります。七番目の智見清浄のゴールは解脱に達することです。ですから、一切の現

 
 
 
無常・苦・無我と解脱の関係

無常・苦・無我と解脱の関係  解脱に達するためには、一切の現象が無常であり苦であり無我であると観察しなくてはいけません。集中力が上がったら、修行者は五番目の道非道智見清浄に入るところから意図的に無常・苦・無我を観察してきました。そのとき、現象は互いに異なる三つの本性を持っているように観えます。さらに修行すると、無常・苦・無我のうち一つの本性だけが心によく分かるようになります。心はその本性にあえて興

 
 
 
自分の修行は完了したのだろうかと、観察する

自分の修行は完了したのだろうかと、観察する  この観察が終わったら、自分の修行は完了したのだろうかと、観察します。まだいくつかの煩悩が残っていること、まだまだ感情が湧きでる可能性があることを発見します。それは残りの煩悩の観察です。  残りの煩悩の観察が、悟りに達してたちまちできるかどうかは分かりません。解脱に達したショックが冷めたところで、再び心を観察するやり方もよいと思います。遅かれ早かれこの観

 
 
 

コメント


bottom of page