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188 優先第一は「今できること」

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年5月14日
  • 読了時間: 1分

 仕事に優先順位をつける。一番大事なことを、今、行う。その結果、三番目のことができなくなったとしても、それは構いません。たとえば、私が書き上げるべき本が、今の時点で三冊あったとしましょう。その場合、私は、「一番先につくる企画はどれですか? 」と確認し、締め切りが早いものを片付けてから、力が残っていて時間も余裕があるならば、次の本に取り掛かることにします。それで結局、次の本には取り掛かれなかったとして、私は仕事をサボったことになりますか? 楽しいことを今やって、大事なことを後回しにしたことになりますか? そうではありませんね。 一つの時間で一個の仕事しかできません。三つの仕事を持ってこられても、できるのは一個だけです。それならば、優先順位で決めるのです。三冊の本のタイトルを聞いて「この本が面白そうだから、これから始めましょう」とはしません。いくら面白くなくても、優先順位が高ければ、その仕事をする。そのように優先順位を付けることは「怠け」には入りません。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《成功と失敗》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【悩みと縁のない生き方 「日々是好日」 経 (2009年) p53】

 
 
 

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