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189 学ぶとは、影響を受けること

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年6月29日
  • 読了時間: 1分

 善友の影響で、本性を破ったところで現れるのが智慧です。我々が「教育を受ける」ということは「影響を受ける」ということです。自分が学びます。学んでいるのですが、影響を受ける義務は自分にあり、影響を与える義務は先生にあります。ですから自力のみでも他力のみでもありません。お互いの関係で成り立ちます。ブッダが覚らせてくれるわけではないのです。自分がブッダの言葉を聞いて、よく理解して実践することが欠かせません。善友に巡り合って本性を破る、壊す。壊したところで何が残るのかというと、そこで 現れるのが智慧というものです。いつまでも似た者同士で合致してばかりいては、智慧は現れないのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《正しい生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【忘れる練習・記憶のコツ 役立つ初期仏教法話14 (サンガ新書 2013年) p201】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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