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189 精一杯やればいいだけ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年5月15日
  • 読了時間: 1分

 「私はこういう仕事をしなくてはいけない」「今日は、私が料理をつくらなくてはいけない」というのは、自分へのチャレンジです。それは別に、誰かに褒められたいというのではありません。そうではなくて、「怠けて中途半端にやるということはしたくない。やることは、精一杯しっかりやりたい」という態度なのです。料理でいえば、「みんなにおいしく食べてもらえるように、一つも文句を言われないものをつくろう」と真剣にやることです。ある面では負けず嫌いの性格なのですが、負けたくない相手は他人ではなく自分だから、これはいいのです。覚えておいてください。人間は、自分がやるべきことをきちんと精一杯やれば、それでいいのです。他人との勝ち負けなど、一切考える必要はありません。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《成功と失敗》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【怒らないこと 役立つ初期仏教法話1 (サンガ新書 003, 2006年) p169】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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