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190 心は空気のように

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年6月30日
  • 読了時間: 1分

 空気というのは、まったくトラブルを起こしません。どこにでも入っていけます。私の心も、あの人は男、あの人は女、あの人は子供、あの人は動物など、そういう区別なく、空気のようにつながらないといけません。たとえば人と話しているうちに気分が悪くなったら、「いえ、心は空気のように」と、すぐ立て直します。誰かがわがままを言い張ると、ちょっと怒りをおぼえたりもします。「なぜ、あなたはわがままばかり?」と。しかし、「いえ、その人がわがままを言うのは、その人の自由です」と、私はその影響を受けないで、空気のようにいるのです。そうやって「空気のように」というたとえで、すべての慈悲の瞑想は完成するのです。心が揺らいだら、空気ではなかったということです。空気はどこにでもあります。法具であるおりんの中にも、おりんが置かれているクッションの中にも、空気はあります。しかし、空気は誰の邪魔もしません。おりんの邪魔も、クッションの邪魔もせず、見事に調和しています。そのように、「私の心は空気のように」と、いつも心掛けるのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《正しい生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【慈悲の瞑想 (フルバージョン〕 人生を開花させる慈しみ p149】

 
 
 

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