top of page
検索

190 心は空気のように

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年6月30日
  • 読了時間: 1分

 空気というのは、まったくトラブルを起こしません。どこにでも入っていけます。私の心も、あの人は男、あの人は女、あの人は子供、あの人は動物など、そういう区別なく、空気のようにつながらないといけません。たとえば人と話しているうちに気分が悪くなったら、「いえ、心は空気のように」と、すぐ立て直します。誰かがわがままを言い張ると、ちょっと怒りをおぼえたりもします。「なぜ、あなたはわがままばかり?」と。しかし、「いえ、その人がわがままを言うのは、その人の自由です」と、私はその影響を受けないで、空気のようにいるのです。そうやって「空気のように」というたとえで、すべての慈悲の瞑想は完成するのです。心が揺らいだら、空気ではなかったということです。空気はどこにでもあります。法具であるおりんの中にも、おりんが置かれているクッションの中にも、空気はあります。しかし、空気は誰の邪魔もしません。おりんの邪魔も、クッションの邪魔もせず、見事に調和しています。そのように、「私の心は空気のように」と、いつも心掛けるのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《正しい生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【慈悲の瞑想 (フルバージョン〕 人生を開花させる慈しみ p149】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page