top of page
検索

190 状況に合わせて調整して生きる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年5月16日
  • 読了時間: 1分

 現代の若者に質問したいのです。「あなたは、何がやりたいの?」。それが明確ならば、たとえば「結婚して家族を持ちたいと思ったら仕事をしなくてはいけない」というはっきり した答えが出てくるでしょう。だったら、はっきり覚悟を決め、目標を定めて、毎日の仕事をするしかありません。「仕事を休みたい。毎日がワンパターンだ。そんな生き方は嫌だ」という人もいるに違いありません。けれども、それは一時的な感情でしょう。先を考えていないのです。われわれが生きている今現在の状況が一定して、まったく変わらないのであれば、感情的な生き方も成り立つかもしれません。しかし、社会の状況は刻々と変わります。われわれはそれに合わせて生き方を調整しなくてはいけないのです。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《成功と失敗》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教と脳科学うつ病治療セロトニンから呼吸法・坐禅、想・まで 有田秀穂氏との共著 (2010年) p156】

 
 
 

最新記事

すべて表示
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 
それなりの安らぎ

それなりの安らぎ見解が消えたら、心は穏やかになります。楽になります。安らぎを感じます。解放された気分になります。 このとき、「こんな安らぎは初めてです」と、修行者が驚いて感動することでしょう。しかしこれは危険です。まだ解脱に達していません。智慧を完成していないのです。それを修行者に教えてあげなければなりませんから、指導者のアドヴァイスは欠かせません。この場合は、修行者は最終的な解脱に達したのではな

 
 
 
nāma とrūpa の流れに過ぎない

nāma とrūpa の流れに過ぎない 解説すると、このようになります。「私」というのは、心と物質の流れです。二種類の流れに、仮に、世俗的に「私」と言っているだけです。「私」という何かがあるわけではないのです。『念処経』で説かれているように、この経験を活かして自分を観察する・他を観察する・両方を観察する、という順番でおこなってみるならば、以下のような結論に達します。「生命とは、生きるとは、命とは、

 
 
 

コメント


bottom of page