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191 出しゃばらないこと

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年7月1日
  • 読了時間: 1分

 慈悲を邪魔するのはエゴの錯覚です。エゴの世界にいるから、「慢」が出てくるのです。「慢」とは、自分を評価する心です。必ず、他の人と比べて評価します。本当は、他人との比較は不可能です。海の水は比較できますか? お前より私のほうがすごい、私のほうが駄目だなどと海の水一滴ずつが主張し合っていたらどうでしょう? 何の意味もありませんね。私たちは、生命という巨大な海の一滴という存在にすぎません。出しゃばらないほうがいいのです。そういうことで、上でもなく、同じでもなく、下でもありません。誰とも比較しない気持ちが生まれたら、そこに智慧も慈しみも完成しているのです。『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《正しい生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【慈悲の瞑想 (フルバージョン〕 人生を開花させる慈しみ p165】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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