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192 与えられたもの以外は取らない生き方

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年7月2日
  • 読了時間: 1分

 与えられたもの以外は取ってはいけない、盗んではいけないというのは、在家の仏教徒も同じです。「与えられたもの」というのは、もらったものという意味ではなく、自分がその分だけ仕事をして合法的に得たものという意味です。仕事で社会にいくらか貢献した分を我々は世界から頂く。それは自分のものですから、安心して楽しく使えばいいのです。「盗んではならない」という戒めの意味は、一人ひとりが使用する必需品は、自分の努力で、社会に何かを貢献したことに対する報酬であるべきだということです。「偸む勿れ」と簡単に言えるところを「与えられてないものを取ってはいけない」としているのは、回りくどくするためではなく、モラルの意義を表しているのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《正しい生き方》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる (2009年) p143】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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