top of page
検索

192 完璧主義になるな

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年5月18日
  • 読了時間: 2分

 完全主義、完璧主義という病気を、まず心から追い出してください。完璧にするのではなくて、自分にできる範囲で精一杯頑張ること。それを誰かに非難されても別に気にする必要はありません。男性の場合であれば、自分が精一杯仕事をしていれば、上司に文句を言われても気にしなくていいのです。上司に「君、ここがちょっと駄目じゃないか」と叱られたら、胃が痛くなったりします。けれども胃を痛くする必要はありません。なぜかといえば、自分は精一杯したのだから、それはそれでいいのです。叱られたとしても「そうですか、すみませんでした」と言って終わりにしてください。頭のいい上司なら、この人は精一杯に頑張ったのだからそれで充分だと考えます。もしそれ以上の仕事をしてほしかったのなら、上司のほうでほかの部下に頼むべきだったのです。これは、レベルの高いあきらめのような気持ちです。我々は、「人間は不完全である」という高度なあきらめのような心構えを持たなければいけないのです。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《成功と失敗》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【まさか「老病死に勝つ方法」があったとはブッダが説く心と健康の因果法則 (2008年) (改題 「老病死に勝つブッダの智慧 心と健康の因果法則」2017年) p101】

 
 
 

最新記事

すべて表示
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 
それなりの安らぎ

それなりの安らぎ見解が消えたら、心は穏やかになります。楽になります。安らぎを感じます。解放された気分になります。 このとき、「こんな安らぎは初めてです」と、修行者が驚いて感動することでしょう。しかしこれは危険です。まだ解脱に達していません。智慧を完成していないのです。それを修行者に教えてあげなければなりませんから、指導者のアドヴァイスは欠かせません。この場合は、修行者は最終的な解脱に達したのではな

 
 
 
nāma とrūpa の流れに過ぎない

nāma とrūpa の流れに過ぎない 解説すると、このようになります。「私」というのは、心と物質の流れです。二種類の流れに、仮に、世俗的に「私」と言っているだけです。「私」という何かがあるわけではないのです。『念処経』で説かれているように、この経験を活かして自分を観察する・他を観察する・両方を観察する、という順番でおこなってみるならば、以下のような結論に達します。「生命とは、生きるとは、命とは、

 
 
 

コメント


bottom of page