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196 幻覚を生み出す渇愛

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年7月6日
  • 読了時間: 1分

 私たちは「安らぎとは何か」もわからないくせに、勝手にイメージをつくっています。そのイメージをもとに「いつか幸福がある」と考えているのです。たいがい、どんな人に聞いてみても「生きる目的が何かあるはずだ」と言います。私は 「今、あなたは生きているでしょう? 生きているあなたは、生きる目的を知らないの?」と聞きたくなります。私たちはいつでも、幻覚がなければ生きていられないのです。私たちは毎日幻覚をつくって生きる苦しみをなかったことにします。その結果、人間の心の中に「生きていきたい、生きていきたい」という渇愛が生まれてきます。渇愛はものすごいエネルギーです。そのエネルギーで輪廻転生をするのです。渇愛があると、人間は黙ってはいられません。何かをするのです。建物をつくったり、金を儲けたり、そんな程度のことをあれやこれやとやります。せっかくつくった建物をまた壊したり、それをまた建て直したり、くだらないことをやっています。その原因は、渇愛なのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《人間の真実》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの聖地スマナサーラ長老と歩くインド八大仏蹟 (2011年) p196】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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