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197 人間は感情で生きている

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年7月7日
  • 読了時間: 1分

 人間は偉そうに理屈や論理を使いますが、結局はそれで生きているわけではありません。感情だけなのです。人間は、ありとあらゆる感情の塊です。我々の生き方は、理屈や論理では、まるっきり動いていません。タバコを吸う人は、どんな理屈があっても吸います。「吸うか吸わないか」の判断は感情によるもので、結局、「好きか嫌いか」ということです。肉を食べたい人は、いくら「身体に悪い」と言われても食べます。身体に「良いか悪いか」ではなく、自分が「好きか嫌いか」、それだけなのです。人間は偉そうに理屈や論理を使いますが、結局は感情だけなのです。結婚のこと、子供のこと、社会のこと……どんなことでも、みんな、まず好き嫌いの感情があり、それで行動する。「好きなことをする。嫌いなことはやめる」と単純です。動物も同じです。感情があって、それで生きています。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《人間の真実》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの実践心理学第四巻2008年 p179】

 
 
 

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