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201 行動の良し悪しの見極め方

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年5月27日
  • 読了時間: 1分

 「自分の役に立つ」「みんなの役に立つ」「生命の役に立つ」という、三つの基準があって、その三つの役に立つと思ったら、やりなさい。しかし、やっている途中でも本当に役に立つ のか、考えなさいということです。そして、それをし終わったら本当に役に立ったのか、また考えなさいと、お釈迦様はおっしゃいます。 それで完璧に語ってしまっています。やる前は推測ですから「役に立つだろう」と思ってやったりする。やっている途中で役に立つか立たないかわかるのですね。もし役に立たなかったらすぐ止められますから、損が少なく終われます。そしてやっている間に役に立つだろうと思っていても、やり終わってから本当の結果が見えます。ですから、終わってから「役に立ったのか」と考えてそうでなかったら、二度とやらない。 考えるときでも、しゃべるときでも、行動するときでも、そういうシステムでやりなさい。これが完全な道徳システムです。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《成功と失敗》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【いまここに生きる智慧―シスターが長老に聞きたかったこと 鈴木秀子 氏との共著 (2007年) p115】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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