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203 大事なのは行動

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年5月29日
  • 読了時間: 1分

 勉強したい、合格したい、仕事が上達したい、昇進したい、などなどの夢だけは頭にいっぱいあります。しかし、実際に思い通りに人生で成功する人の数はかなり少ないです。気持ちだけで、希望だけで、夢をみるだけで、ものごとがうまくいかないことは言うまでもありません。必要なのは夢で頭がふくらむことではなく、たとえ小さな目的であってもそれに向かって歩むことです。行動力です。実行力です。『一分で読むブッダの教え』第3章 人生の悩みは、仏教で解決する《成功と失敗》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【心の中はどうなってるの?一役立つ初期仏教法話5(サンガ新書016. 2007年) p72】

 
 
 

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それなりの安らぎ

それなりの安らぎ見解が消えたら、心は穏やかになります。楽になります。安らぎを感じます。解放された気分になります。 このとき、「こんな安らぎは初めてです」と、修行者が驚いて感動することでしょう。しかしこれは危険です。まだ解脱に達していません。智慧を完成していないのです。それを修行者に教えてあげなければなりませんから、指導者のアドヴァイスは欠かせません。この場合は、修行者は最終的な解脱に達したのではな

 
 
 
nāma とrūpa の流れに過ぎない

nāma とrūpa の流れに過ぎない 解説すると、このようになります。「私」というのは、心と物質の流れです。二種類の流れに、仮に、世俗的に「私」と言っているだけです。「私」という何かがあるわけではないのです。『念処経』で説かれているように、この経験を活かして自分を観察する・他を観察する・両方を観察する、という順番でおこなってみるならば、以下のような結論に達します。「生命とは、生きるとは、命とは、

 
 
 
nāma とrūpa を区別して発見する

nāma とrūpa を区別して発見する それから客観的に確認作業を実行してみるようになります。そうなると、手を上げます、下げます、と実況するのであって、それは「私の手」という気持ちから離れています。ただ「手」という客観的な物体として観るのです。座る瞑想もこの調子でおこないます。集中力があり、客観的に確認しますから、より詳しく現象を観ることができるようになります。 手・足・お腹などは純粋な物体です

 
 
 

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