top of page
検索

209 度数の合わない眼鏡は外す

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年7月19日
  • 読了時間: 1分

 我々は他人の価値観、他人の判断に合わせて生きようとしています。皆様が奴隷の身分であれば、それも仕方がないことです。しかし、この世に奴隷制度があったときでも、人間が喜んで奴隷になったことはありません。他人の見解や価値判断に自分の人生を合わせても、うまくいかないのです。比較する他人も、私と同じく不完全な人間だからです。模範にはならないのです。「あの人のように美しくならなくては」「あの人のように成功しなくては」「あの人のように能力を上げなくては」「あの人のように明るい人間にならなくては」などは成り立ちません。あなたがどのように頑張っても、他人にはなれないのです。軽く参考にする程度にしましょう。他人に合わせて生きようとすることは、度数が合わない眼鏡で正しく見ようとするのと同じです。私は、私にできることを精一杯やります。それが「私の成功」なのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《人間の真実》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【今日を充実した一日にするための日めくりブッダの教え 16 (2016年)】

 
 
 

最新記事

すべて表示
見清浄の成長

見清浄の成長 最初に現れる見清浄は、それほど強くありません。修行を止めたらすべて忘れてしまう可能性もあります。 見清浄を薄いままで放っておいて修行しても、次のステップに進めません。Nāma とrūpa の分離智が現れてから、その智慧に基づいて次の実践に進む必要があります。普通の実況中継で構わないのですが、「足を上げます」と実況するときは、足というrūpa の動きと、感覚変化というnāma の動きに

 
 
 
現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる

現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる しかし見清浄に達したら、これらの悩みは減ります。これらの悩みをもう少々、観てください。何か問題があります。それは「自我」が絡んでいることです。すべての悩みに「私は」という主語があります。「私がいない」という想定で実践しなくてはいけないのです。私がいない、という想定で実践できるようになってから初めて、現象がnāma とrūpa に分けて観えるよう

 
 
 
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 

コメント


bottom of page