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216 幸せの秘訣は、今ここで満足すること

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年7月26日
  • 読了時間: 2分

 仏教はいつでも最終的な答えを出します。できるものなら超えてみなさいという態度なのです。態度が大きいのです。幸せというのは、明日なるものではありません。いま、幸せになるのです。明日は存在しな いのです。「こんな状態で、いますぐ幸せな状態になれるのか」について、仏教は簡単に答えます。Santutthassayam dahammo, nayam dhammo asantuṭṭhassa サントゥッタッサーヤン・ダンモー、ナーヤンダンモー・アサントゥッタッサ(この法は足るを知る人のものであり、不満な人のものではない)。いま喜びを感じる、いま満足を感じるのです。「いま」とはここにいる一瞬しかありません。歩く時は歩くことに満足する。電車に乗ったら電車に乗っていることに満足する。私はいまお腹が空いている。いろいろなものを食べたい欲望があるけれども、おむすびしかない。だったらおむすびで満足するのです。思う存分おむすびを噛んで、歯ざわりや海苔の香りを味わえばいいでしょう。「まあ、おいしいねえ」と。それで終わりです。「なぜ俺がうなぎ弁当を食えないのか」と思ってしまったらアウトです。その人は妄想の世界にいるのです。幸せになりたければ「いまの状況で満足しなさい」ということなのです。いまここで満足する技を身につけてほしいのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《今を生きる》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【仏教と科学が発見した 「幸せの法則」 - 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす p225】

 
 
 

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