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219 他人の過ちを許す

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年7月29日
  • 読了時間: 1分

 失敗して不幸な生き方をする人々には特徴があります。それは、他人の些細な過ちを派手に取り上げて批判することです。自分は完璧だという誤解から生じる現象です。他人を批判するばかりで、自分は一向に正しい人間にならないのです。歩んではいけない道です。自分も他人も不完全です。自分も失敗するし、他人も失敗します。人が失敗しても「あり得ることだ」と理解し、悪人扱いすることをやめましょう。世の中から完全性を期待する気持ちを消しましょう。不平不満を言っても構いませんが、誰だって不完全であるという前提を忘れてはなりません。そうすれば、不平不満もほどほどの表現になります。他人も微笑んで不平不満を聞いてくれるでしょう。わかりやすく言えば、「他人の過ちを許す」ことです。この実践は、すべての現象が不完全であると発見に至るまで実行します。他人の過ちを許すと、相手が落ち着くだけではなく自分も幸福を感じます。人はいつでも何かしらの過ちを犯すので、私たちには常に許してあげるという仕事があるのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《道徳》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【今日を充実した一日にするための日めくりブッダの教え 19 (2016年)】

 
 
 

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