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219 病気は当たり前

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年6月15日
  • 読了時間: 1分

 空腹なのは元気の証拠などではなくて、空腹も病気の一つです。私たちはお腹が空いたら、ぜんぜん何の心配もしませんね? ただ、ご飯を食べてそれで終わりです。のどが渇いたら、ぜんぜん心配しないで、水を飲んで終わってしまいます。ほかの病気になっても、同じ気持ちになってください。どうってことはありません。「ああそうか、病気か」と。「ああそう、じゃあ、どうしよう」と、対策をとればよいのです。心臓が弱くなってきたら、「ああそうか、では適当に気をつけて生活します」ということです。病気はごく当たり前の、お腹が空くことと同じことだと思ってしまえば、ずいぶん楽になります。たとえガンになったからといって、驚いてしまって、びっくりして、怖くなってしまうと、それだけで死んでしまいますからね。そうではなくて、気持ちの上で「ああガンですかね、ああわかった、わかった。では、一番よい方法をとりましょう」と、落ち着いていられれば、平安にいられます。大事なのは、心の平安です。『一分で読むブッダの教え』第4章 命を理解し、老病死を恐れずに生きる《心と体》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【結局は自分のことを何もしらない 役立つ初期仏教法話6」 (サンガ新書2008年) p170】

 
 
 

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