top of page
検索

220 他人に指図する前に自分で実行する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年7月30日
  • 読了時間: 1分

 道徳を教える場合、誰もが大きな間違いを犯します。それは、他人を指さして「〇〇をするなかれ」などと説教することです。人間の本心は、他人の指図を嫌がります。ですから道徳を強調すればするほど、人はモラルを無視する方向に傾きます。道徳を守る人間を育てようとしたのに、道徳を犯す悪人をつくり出す結果にもなるのです。他人に善悪を指図する前に、自分で実行してみることです。自分で実行して良い結果になったならば、他人にもその方法を教えたほうがいいです。そうすれば、他人から非難を受けずに済みます。ですから、「汝は〇〇をするなかれ」と他人に指図するのはよくありません。自分自身が実行して、正しいと理解できたことを他人にも紹介するのだ、という確信を持たなくてはいけないのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《道徳》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる親は子を育て、子は親を育てる」(2017年) p28】

 
 
 

最新記事

すべて表示
見清浄の成長

見清浄の成長 最初に現れる見清浄は、それほど強くありません。修行を止めたらすべて忘れてしまう可能性もあります。 見清浄を薄いままで放っておいて修行しても、次のステップに進めません。Nāma とrūpa の分離智が現れてから、その智慧に基づいて次の実践に進む必要があります。普通の実況中継で構わないのですが、「足を上げます」と実況するときは、足というrūpa の動きと、感覚変化というnāma の動きに

 
 
 
現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる

現象がnāma とrūpa に分けて観えるようになる しかし見清浄に達したら、これらの悩みは減ります。これらの悩みをもう少々、観てください。何か問題があります。それは「自我」が絡んでいることです。すべての悩みに「私は」という主語があります。「私がいない」という想定で実践しなくてはいけないのです。私がいない、という想定で実践できるようになってから初めて、現象がnāma とrūpa に分けて観えるよう

 
 
 
修行者たちの悩み

修行者たちの悩み ここでもう一度、修行者たちの悩みを考えてみた方が有益だと思います。周りがうるさくて集中できません。一緒に座っている人の鼻息が気になってしまいました。足が痛くて長く座れません。座る瞑想をすると、かならず眠気が襲ってきます。もう少々涼しいところであるならば、気持ちよく修行できると思います。床に座るよりは椅子に座った方が楽だと思います。妄想の流れが切れません。夢を見ているような感じで妄

 
 
 

コメント


bottom of page