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222 生命に最悪の不幸を与えてはならない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2023年8月1日
  • 読了時間: 2分

 「殺生してはならない」というのは、それが生命にとって最高に嫌なことだからです。その代わりに「慈しみなさい」というのは、それが生命にとって最高の喜びだからです。誰でも親切にされると、とても嬉しくなります。ものをくれることよりも、自分に対して親切な気持ちを抱いている、自分のことを本当に心配しているということに、味わいがあるのです。仲間、という感じです。何もくれなくても構いません。いろいろな人々が第三世界の国々へ行って人を助けたりしますね。でも自分たちは別世界の人間、幸福な人間として施しを与えるような態度だと、評価されません。それよりも、苦しんでいる人々と一緒に座って、一緒に何かをする、対等に話をしたりすると、大変喜ばれます。このように、仲間に入るということが、一つの慈しみの行為なのです。他人を仲間にしてあげる、差別の壁を消してあげる、それは生命が期待する最高のものを与えていることになります。それは、ものをあげるより、ずっと価値があることです。逆に、相手を殺すことは、その生命に最悪の不幸を与えることになるのです。 『一瞬で心を磨くブッダの教え』第4章 幸福に生きるための秘訣《道徳》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【智慧は人生の針盤 人がめざすべき幸福の話 (お釈迦さまが教えたこ8,2009年) p106】

 
 
 

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