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227 嘘をついてはならない理由

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年6月22日
  • 読了時間: 1分

 人を騙してでも、欺いてでも、インチキ詐欺や偽善をはたらいてでも、生きていかなくてはいけないのでしょうか。他人の命より、自分の命に価値があるのでしょうか。もし騙してでも、欺いてでも、詐欺をはたらいてでも、生きる価値があると証明できるならば、自分の命には他人の命より価値があると証明できるならば、なんとしてでも生きてみたほうがよいのです。しかし事実は違います。誰の命も同格です。要するに皆、平等なのです。その上、他人の助け、他人の協力がなければ、自分の命は瞬間ですらもちません。他人に助けられて、やっと命をつないでいる身分である私に、他人を騙す権利はまったくないのです。ですから嘘をついて人を騙すことは存在の根本的な法則に違反する行為です。生命に生きる権利は平等にあるから、生命が互いに協力し合って命をつないでいるから、生命同士で信頼関係があったほうが、幸福に生きられます。だから嘘をついてはならないのです。『一分で読むブッダの教え』第4章 命を理解し、老病死を恐れずに生きる《命を理解する》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【ブッダの質問箱―仏教まるごとQA(サンガ新書046、2011年) p40】

 
 
 

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