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228 生きるとは刺激を求めているだけのこと

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年6月23日
  • 読了時間: 2分

 喜・怒・哀楽という感情(刺激)はすぐに消えるものです。見たもの、聞いたものはすぐに消えてしまうからです。消えてしまうと、また欲しいという感情が生まれます。音楽を聞いてもスピーカーから絶えず音楽が流れてこないと、喜・怒・哀・楽は生まれません。スピーカーの音が消えたら、また再生するはめになります。つまり、喜・怒・哀楽を感じたら、「もっと欲しい」という感情が生まれるのです。それを「意志」(will)といいます。 なんでもないことから感覚の流れが生まれて、知ることが出てきて、感覚が出てきて、感情が出てきて、その上、意志という、「もっと欲しい、もっと生き続けたい」というとてつもないものが生まれてくるのです。命とは変化する組織(集合体)であって、因果法則によって成り立つものです。この命という組織が、刺激を求めて動いているのです。植物の場合、葉は、光という刺激を求めて地球の引力と反対方向、上へ上へと伸びていきます。根は地球の引力の方向を見て下に伸びていきますね。そのように生命は、刺激を求めて回転しています。生きるとは、そういうシンプルなことなのです。『一分で読むブッダの教え』第4章 命を理解し、老病死を恐れずに生きる《命を理解する》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【智慧は人生の針盤 人がめざすべき幸福の話 (お釈迦さまが教えたこ8,2009年) p38】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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