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234 感謝して慈しみを育てる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2024年6月29日
  • 読了時間: 1分

 我々が生きられるのは、自然やら生命やら、いろいろなものに助けられて、支えられてのことです。おいしいご飯を食べられるのは農家の方々が一生懸命作ってくれたからであり、炊飯器を開発した人々の必死な研究の結果でもあります。一日生きたということは、無数の、無限の生命に支えられたということです。だから、そこをよく自覚して「慈しみを育てること」です。死ぬときはそれしかやることがありません。「みんな幸せであってほしい、ありがとうございます」という気持ちです。『一分で読むブッダの教え』第4章 命を理解し、老病死を恐れずに生きる《命を理解する》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版【なぜ悩む! 幸せになるこころのしくみ 玄侑宗久氏との共著 2005年 (改題「仏弟子の世間話」 サンガ新書) p233/199】

 
 
 

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